皆様 お元気でいらっしゃいますか? 

年末年始の各地での開運経のお勤めを終え、今後の身のふり方だけを
考え続けておりましたら、最後のお参りの頃に
原因の解からない病気のお方や、「霊現象」としか云われぬ
苦難の数々にふり回されておられる一家等、
神仏よりすさまじきお勤めに縁結ばれました。 
後日届く良き知らせに、「祓い」こそ、私のこれからの役目と
知らされました。 
けれど覚悟を決めても残りわずかの刻ならば 
それも中途半端な結果になり、周囲をふり回すだけ、と
半ばゆらぐ幾日でしたが、ようやく、神仏から 御神言をいただきました。
2月22日より5日間の聖地での御神言です。

〔 2月24日  アグン山の麓にて 〕

さてさて巫よ。暦にさし上げたる月日に半ば死に様を思う日々。 
「生き尽くす」とは 程遠き有様を見ておりましたが
今,ようやく学ばれたる御様子。 
刻を忘れてむさぼる有様こそを、「生き尽くす」と申します。 
汝、身にたくわえたる全たる力を世に放つべし。 
更なる使命に身を焼いてこそ巫の姿なり。 
日々の脳のめぐりに, ようやく行き先を見つけられたかな。 
これより天命と向かう名を「陽巫」とあらたむる。 
姿なき苦しみにのたうつ世の為、人の為、
これより先こそ身を削る行場となろうや。
守りとなる対の弟子も そろわれた。
限られた刻ならばこそ、焼かるる苦の間におびえたる人々を救うべし。
巫よ,たくましく生きられよ。 
女女しく刻を無駄に過ごしてはなりませぬぞ。 
かせたる幾年の行を、ただただ己の行と思わるるか? 
世に尽くせばこそ、天より護らるる役上なり。
成せぬ巫をむざむざと成せぬままに見殺すとお思いか?
成しとげればこその苦行なり。  
巫よ、ゆるりと過ごす虚しさをお望みか? 
ならばさし上ぐるぞ。 
尽きぬ苦なれども、満ちあふるる正義に向かわるるか?
陽の御子ならば、選るはひとつのみぞな。

「 本日より、様々なる悪気・悪臭にとらわれ、
目に見えぬ恐怖に おびやかされたるお方々への
祓いの勤めに出むきます。  
窓口でのお役目にて愛弟子が持ち帰る難問に、
陽巫が見てとり、あきらかに霊障と見極めれば
後に必ずの解決にお繋ぎいたします。
                    陽巫 」



多くの方のご支援のおかげで、巫女修行最終のメキシコも
余る程の教えの中、無事に勤め上げることができました。
今又、日々の勤めに奔走しております。
さて、メキシコ行中に頂きました神言の中より、
又、その後の神言より皆様へお披露目するものを、
神仏からの指示により、御神言コーナーにてお伝え致します。
前回同様、私の寿命について、いくつかのあり様を
つづられております。
ですが、ご神仏の意図は、今後の「寿寿かけ」の在り方に
ついての皆様へのお知らせなのです。
私無き後、白羽の矢を立てられた愛弟子公章の
目、耳、手足を通し、皆様がなお深く神仏とつながって
生きる充実を預かれますます事を、私陽乃子も
陽となり、月となり、「寿寿かけ」にお勤めさせて頂きます。
神言のアップは早々の事となります。
長い神言なので携帯からではなく、ホームページにて
お読み下さい。
それぞれに山あり谷ありの一年でしたが、
この一年ヘドを吐く思いの方に、必ず温かい陽が照る事を
来年に結びます。

陽乃子
12/16   富士宮 新居にて

木花佐久夜毘売命より

あなた方をいつも見ていました。
天に従い大地を歩む姿は、
正に清々しく
陽乃子とは正しくあるべきの姿。
又、歩む行者に帯びたる清しさ。
あらゆる者を呼び繋がりましたが、
素に等しく在る者、在り続ける者は、無きに等しい。
今世、欲々深くあるものと見る。
引き換えるに何を求むる。
民は力を無償とする事成せず。
引き換えるに汝の欲を求める。
今、縁に結ぶもの、
又清しき賜物ばかり。
富士の胸元に理屈なし。
天性に応ゆる素の心のみ求める。
よう来られた。
天より繋ぐに相応しき寿寿なる御霊の寿寿なりの力
咲かせましょうぞ。
12/11  鈴鹿にて

伝えなければなりません。
残りわずかな時、
万に一の後悔を残さぬ為にも、この事を伝え、
虹の橋を託すものです。
献身なる身体には、誠に切なき重荷でしょう。
しかるに託すものもあり。
行く先への勤めに、全うするには及ばぬものを託す思いです。
甘んじる身には、今少々の無理を見てとるものです。
よく聞きなさい。
一月早々に寿寿なる花への架け橋は虹の如く架かります。
その後、二月およそ身のもたぬ日々が続く事に
行脚の勤めに日も夜も枯れ果てる事になります。
汝、引き継ぐ者なれば、多くの日付を申し渡す。
契約二月初旬。
これよりめまぐるしく居移りの仕度、清掃など
多くの人より力と愛を注ぐものでしょう。
お伝えした屋敷にて、
幸福の輪を繋ぐ寿寿の花の全たる模様に向かいます。
名を「プチホテル)」としたためます。
開店の運びは三月十二日。
繁盛を受け渡すにはこの日のみ。
何事あろうとて、この日を開店となさるべし。
巫女におきては、そこまでもたぬ身体の日々極めたり。
最終行とはそこまで苛酷でした。
浜木綿の地にて弔い、イザナミの懐に戻されよ。
黄泉の力にて浄まらるれば、
守護神の名に相応しき姿に須弥の金子をまとわるる。
誠に寝姿の如く息絶ゆる。
決して騒がず、とうとうと受け止めるべし。
名も無き聖なる花の安寧の表情を刻みなされ。
この時、汝、決して戸惑わるるな。
それより二十七日、
身元に立ち、清き御霊の合わさるる。

イザナミの日向にて浜木綿の白き姿を称ゆる。
切なる思いなれど、
汝等重なる奇跡の時を、
天界の決め事と受け、
後、世の為、陽の為、月の為と勤められよ。
11/29  メキシコシティにて

天界と大地を繋ぐには、盾となる人柱が必要です。
悪臭はなはだしき今、各国に、行と伝え、
ゴミさらいの如く、浄め祓いてきました。
完璧なる人柱は五百年の年月に一つのみ。
今、この地を選びたるは、憎悪の渦はなはだしい様に、
行く先あまりにもむごたらしきこの地のあり様を救う為です。
行終えてこの地を離るれば、
幾月かの内に、この地にのしかかる悪臭の様は、
やがて各国に伝わるでしょう。
火が放たれ多くの人々がおぞましい憎悪の渦に操られます。
いかに人柱を立て、その醜態を削ろうとて、
無理はなはだしく困難です。

本日浄めの日と致します。
揃われた選りたる方々に、この身を呼び戻されねば、
一気に渦を体内に吸い込み、
目も再び開かぬ事になるでしょう。
救い神は整えました。
皆々そばにて呼び戻す事念じ、
手短かに勤めを終わらせます。
今宵、天地繋ぐ刻は十一時。
およそ一時間に及ぶ人柱行となりましょう。
11/28 テオティワカンにて 公章への言葉

絶えずあり得ぬ出来事を
目の当たりに見ることには、もう慣れたでしょう。
ゆかしく、ゆゆしく、りりしく身を尽くすあなたの師は、
いかにも育てられたものです。
過ちを犯さぬよう、誤りを口に吐かぬよう、
心身に育て上げたものです。
真の師と呼ぶには相応しき存在でしょう。
日々の言葉に察するものは深くあります。
しかし人が人として生きれぬ今の時の流れに、
神と通ずるおごらぬありさまを託す事は、
いかに世の中が乱れようと、
真実を求める魂の探す場所なのです。
あなたはあらゆる場面を見てこられました。
ここから更に始まる多くの奇跡を見続けるでしょう。
あなたに託したのは、
生まれ持つ月の力、それにも増す陽の力です。
まだ少し、目覚めるには機も熟しておりません。
花咲く頃、案内する山にて、
目覚めの時を差し上げます。
11/28  テオティワカンにて

時を経て、人々は豊かに命を繋いだ。
行く行く大きな大地の揺れが、
この星を見事に磨き上げるだろう。
あとわずか三百年程先の事です。
しかしこの時をただ見過ごす事はできません。
極めて清き魂のものに託す事になるでしょう。
日毎に汚れゆく青き星を
我々も見捨てる事はできません。
ここに集めたのは、青き星の真の柱となる日本の
行く先を教える為です。
何を守るではなく、
何を始めるかなのです

10/24  静岡神棚前にて  

急ぎます。
なぜなら時が間近に迫る頃、一つの形を整えねばなりません。
「ユーア」に繋ぐ人柱を造り上げねばなりません。
幾百の年月整え、いくつかの御霊を今世に結びました。
今こそ時の繋ぎに、この身を拝ぐる時です。
御霊は、いいえ魂は輪廻に沿い、つつがなく勤めております。

人は言うでしょう。
「なぜこの身を」と言うでしょう。
魂の在り方に勤める者のありさまなのです。
いくつかの仕度を整えなければなりません。
収容可能なスペースを見付け、
そこに繋ぐお方々を呼び集めましょう。
今年末日には全て整っております。
翻弄さるる事も多々ありましょう。
ですが、この指示に背く事は出来ません。
何も迷わずに私に全てを託しなさい。
先に伝えた「フィンドホーン」の書物に目を通しなさい。
行くべき道の一部始終がそこに記されております。
「シューワツ」とは 身を尽くす者への呼び声と知りなさい。
およそ思いに沿わぬ、あるいは想像できぬ事が始まります。
必要なものは全て準備されています。
人の脳に思いもよらぬありさまを、これより創り上げましょう。
「ケゲムケゲカ」
いわゆる疑うなかれ。
そうあるものの世界です。
個々、思いは乱れますが、必ずあるべきの形に案内されます。

家移りについて、一月十日をもち解約の手続きを踏みなさい。
あらゆる物事は全てそこを越える事はありません。
新たなる笹舟を出しましょう。
やんごとなく進みましょう。
何事に逆らう事はできません。
人の意識に及ばぬものが全て整うのです。
当たり前のように事は形を整えます。
預かる神世の繋ぎ目に、この身は今世を終わります。
はかなくもなし。
全てを終え、充実の笑みを湛え、
陽に守られ、天上の衣をまとう事になります。
その日ははかなげに雪が舞い、
誠に美しく「ふ」の衣が向かう所へ包みましょう。
そぞろなく物事を運ばねばなりません。
つつがなく案内される所へ足を運びます。
何をもって進みても、一切抗われずに、
を咲かせなさい。

陽乃子より

今回の御神言について、御神仏の指示により皆様にお伝えした事を、
私は自らに問い掛けていました。
なぜこのように人の心に嘆き、あるいは悲しみを訴えかけるのか、
それははたして何を意図する事なのか、
なぜご神仏はこの御神言を読む皆様に表されたのか、
指示を頂いてからずっと自分に問い掛けてきました。 
ようやく解りました。
多くの方々から不安や、疑問や、悲しみが届きました。
またしてもなお、私は疑問に思いました。
御神仏の真意とは何だろうか?
ご神仏の真意とは皆様への励まし、あるいはお叱りです。
生きるにあたりどのように真っ向から向かっておられるか、
時の大切さをどのように思われるか。
己の足で立たねば。
生きるとは苛酷であり、あるいは充実であります。
私の残す時を案じて時を無駄に過ごされるならば、
それはあなたの時を無駄になさる事になります。
私の生き方に疑問を持つよりも、
あなたはあなたの生き尽くすさまを見付けて頂きたい。
私の生き方は私の充実で、
あなたの充実はあなたの生きざまを見付け、生き抜くさまにある事。
この度の二つの神言は、
ご神仏よりそれを問い掛けられているものだと思います。


さて、神言にて日々に身を走らせる陽乃子ですが、国内外を奔走するにあたりては、全て自動手記、
あるいは身に舞い降らるる神仏より頂く、天界からの指示によるものです。
では、神言とはいかなるものなのか?
富士寿寿かけ建立にあたり、開門に向かいます折より頂きました御言葉を、皆様にもお伝え致しましょう。
勿論これも神仏よりの指示ありての事と認識して頂きたいと存じます。
神言は意味深く難しきものです。何度も何度読み重ねぬと、その真意ははかれません。
本日より「御神言」のコーナーを設け、「皆へ伝えなされ」の御言葉のみをお伝えして参ります。
日々の向上にあたりて背中を押して、守りて下さる神仏の存在を、しかりと感じて満たされたる生命の実感を知って頂きたい。
寿寿かけ

十月十九日 夜  静岡神棚前にて  

神言伝ゆる。 記されよ。

ようやく待ち望む時迎えたり。
しがなき、慎ましき時を経て、「かんながら」の指示に動かるる
弛み無き勤めに 真(まこと)のつつがなきその時を 摩訶不思議のものと世に知らしむる。

神事ならば こう伝えましょうぞ。

これより先、コアの言葉に替えましょう
人の世の今世なるものは、あらゆる悪気に乱されています
悪気は脳のあるべき姿を破壊し始めています。
調和を踏みつけ、欲、あるいは命の破壊に向かっています。
人としてあるべき姿は、波動により守り合い、尊重し合い、
向上し続けるように、魂には使命たるもの結び付けております。
言葉に不備多く、意識に欠如の進みたる今
コアが人に指示するのは、あるべき姿、愛だけです。
これより「寿寿かけ」にそれを結びましょう。
今、正しく結びましょう。
黄泉への清き門を開けましょう。
息吹くものへの正しき姿勢を導きましょう。
命の意味を伝えましょう。
精神の気高さを記憶より呼び戻させましょう。
何事にひるまぬ力を差し上げましょう。
希望にメラメラと火を灯しましょう。
咲き誇る行く先を現実に結びます。
さもなくば人は翻弄されます。
今こそコアの力を結びましょう。
柱に立つものができました。

多くにそれを見せてあげましょう。
十二月中程にすがしき所へ案内いたします。
多くの人が集います。 多くの愛が実ります。
かつてあなたに見せたフィンドフォーンの初期の頃です。
者々が集まり気高きありさまをつくるでしょう。
二人のお方が力を添えましょう。
あなたは ただ コアの指示に従いなさい。
身体を労(いたわ)りなさい。
貫く針の痛みを撥ね除ける事は出来ません。
しかし己の意識を高め、形あるもの気高く白くそびえるまで
その身を労る事が必要です。
いかなる痛みもそう長く続く事はありません。いかなる痛みもそう長く続く事はありません。
命の終わりは間もなき事でしょう。
生き延びるのではなく、生き尽くしなさい。
形を求めるのではなく、そこに向かうあなたの意識を高めなさい。
私はいつもあなたを見ています。
私はコアに最も近いものです。
なぜならコアは意識の中枢だからです。
人は誰も意識と語ることは出来ません。
問いかけた時、その問いに答える中枢の門が開くのです。
あなたを大切に見守っています。
コアに近づくほどに、あらゆる障害が身体を悩ますでしょう。
でも魂こそ、そこを望んでいるのです。

多くの選ばれた愛の形が、示された場所に集まるでしょう。
あなたは無償の愛として見送られ、迎えられる事でしょう。
およそ計り知れぬ涙があなたをコアに届けます。
濁りのない愛によってあなたは召されるべきなのです。
掛け替えのない時間に今、一歩踏み入れました。
全ては準備されています。何も迷う事はありません。
時を確実にしっかりと歩みなさい。
どのようなしがらみも解き放ちなさい。
あるがままに歩みなさい。

<H22年9月10日 巫女が幽体離脱の間の神言>

知るが良ろしい。
人の肉体より魂が抜ければ、この様に瞳は宙を彷徨い、
全ての神経は閉ざされます。 
歩く事、掴む事、立つ事も出来ません。
今、この巫女を支えているのは、
御霊(みたま)を成し遂げる事、その役上のみ貫かれております。
巫女に何を禁ずる事をも終えたのは、
例えば煙草を、あるいは獣肉を、あるいは酒を、
何を禁じてももはや御霊の離れる行者より肢体を守るには
間に合わないからです。
世に称ゆる者ならず。
世に崇める者とならず。
教えには十分の充実の時を、つかの間に差し上げればこその事。
スメノオの愛とは誠に厳しく、
いかに生き、伝ゆるか。 いかに生き、勝るか。
多くを学び、多くに感謝を頂き、多くの時を共にし、そして胸打たるる。
これこそを生き様とは思いませんか。
我が名は観音。
この巫女を育て上げたるイザナミよりの直佛(じきぶつ)なり。
厳しく叱りながら、慈愛に包み、
長(なが)の勤めに 最終の時までこの身を守ります。
正(まさ)しく今世の魔は、巫女なる者を育て上げ、託すには
忍びなきもの。
なればこそ ,大国主(おおくにぬし)の護(まも)りに、観音の知恵も授り、
一世(ひとよ)に運び、一世に立てました。
柱とのみ育て上げた。
南無(なむ)、南無(なむ)、妙(みょう)の慈悲を偏(ひと)えに注ぎ、
行く先一途に無償の愛で包み、
又、立つ地には陽もほころび、悪行あらば風を注ぎ、
ここまで託すものとなられました。
今、肉体に悪(病)なるものあるやとても伝ゆる事は出来ませんが、
ただ心身投じて時は間も無し。
けなげに生きたる幾年の年月を、
多くの関わり人が、これより賛辞を持ち、お訪(たず)ねになりましょう。
いかなる最期になるかは決められたる事。
必ずや御佛(みほとけ)の金に包まれ、森羅に迎えられましょう。
その時 天上より注がるる真(まこと)の愛を
大地たるや共に受け、
この地も又、澄みたるものとなりましょう。

汝、公章。 忘れなさるな。
いつか託した祭壇の手配、
とどこおりなく頼みましたよ。
南無観世音
<8/29 スペイン マドリッドにて>

陽乃子よ
無限の宇宙に「核」となるものあり。
核に結ぶ七つの門がある。
コアに結ぶゲートと記憶なさるが良い。
無限の宇宙は七つのゲートにより、核を守る事により、静寂を保つ事となる。
そこには知性、愛、欲、悲哀、無欲のものを生む力がある。
生命を託す事により これらを一つにする事を試み、
地球という星を創り、そこに学ぶ進化のものを創り上げた。
コアはゲートを選び、地球に様々なる意識を送る。
意識は多くを学び、慈しむ事、我慢する事、貪(むさぼ)る事、呆(ほう)ける事
喜び、憎しみ等、およそコアに無きものをコアに伝えた。
意識はゲートをくぐる事を拒むようになり、
「人」に与えた学ぶ事は、因果というはびこる根により、
「人」の身に宿り続ける事を選んだ。
魂はコアに戻るもの。
そこに予期せぬ意識なるものは、新たな意味を持ち大地に芽吹く(・・・)事。
人は己の力を称え、欲した。
魂とはコアに戻り新たなる学舎(まなびや)を持つ事こそを次の意味としなければならぬが、
覆い被さる新たな力に、コアに戻る事を遮ら(さえぎ)られた。
宇宙は魂の誕生のスペースを、リズムを崩す事により失う事になった。
今、この地を、この星を多くの波紋に委ねるには、それ相応の大地の精算を望むばかり。
魂を洗い清め、コアに呼び戻す事により、この星が青く美しく保たれる。
これ天地創造の折より、
歩む者歩み、止まる者留まり、蹴る者息絶え、
その肉体に学ぶ御霊(みたま)を次なる進化に遂げ与えたり。
熟す事無く、熟そうとする。それこそがこの星の守りに繋がる。
「人」は完璧ならず。
未熟なればこそ完璧を目指すが、完全なるもの「人」に無し。
本能に目覚め、魂に委ねれば、見事に美しく保たれるものを。

更なる進化を目指せばコアに近付く。
コアに近付けば人の人たる姿は無くなるのです。
保たねばならぬ人の在り方を、命の有り様を、
しばらくは天の爪痕として知らしめねばなりません。
天災にいかに刃向(はむ)かう事が「無」に近付く事か?
今、魂に呼び掛けているのです。
愛を持ち、愛により慈しまれ、愛の元に帰る事こそ、人の生き方と定められています。
伴侶とは、世にほんの一瞬関わる事ですが、
何度も関わる事とは、つまり、魂のパートナーです。
何世にも渡り輪廻の伴侶は、呼び合い、呼び掛け、見つけます。
魂が見つけ、魂が望むのです。
そのごく当り前の事を魂は求めますが、
この世に今、魂を塞ぐ因縁の、低い波動により、魂は閉じ込められているのです。
時折ゆり起こす魂の、限られたほんの幾つかの時、
こうしてメッセージを送ります。
この星には多くの魂の引き手が送られています。
それぞれに生きながら、問い掛ける魂に問うのです。
そしてそれこそを、何よりも尊ぶ生き方を求めるのです。
訳も無く彷徨い、自分自身に答えを問うのです。
コアが印(しる)した多くの魂に「答える者」を、必要な時に呼び掛け呼び覚まします。
いかなる時に呼び覚まされるか、それは歴史であり、時間のゲートによります。
ゲートはそれぞれ必要な地に必要な魂を育て上げ、
必要に苛酷な試練をコアに伝えます。
コアに与えられる次なる試練に答える者こそ、コアに繋がる者なのです。
確認が終わるとコアは魂に絶えず波紋を投げ掛け、
受け止める力が目覚めているかどうか、
次々と試練を与えながら答えによっては絆を断ち切ります。
まだ熟さぬ身に陽を注ぐ事はありません。
熟す者は限り無く試練を受け、強くしなやかに実を太らせます。
魂とコアが太い弦(つる)でからまり合い、全てを託された時、
その時こそ、使命が始まります。
地球の中心にマグマが迸(ほとばし)り、コアとマグマは熟した実に更なる実りを呼び掛けます。
ここから先、身を割る者、身を焦がす者、生かされる者、三つに分かれるのです。
「身を焦がす」とは、人の世の因縁の世にはびこる根を、悪なるものに繋がれる事です。
腐った魂は悪をはびこらせるでしょうが、マグマはそれを許しません。
地に墜ちる魂は、マグマに引き寄せられる最悪の悪気悪臭の渦に放り出され、
何年もの刻の間を彷徨うのです。
さて、コアに繋がれた光輝く魂は、再びコアに戻り完成の時を待ちます。
未完成なら又、輪廻を呼び掛けます。
完成に近いものなら更に磨き、行く先であるコアに近付けます。
この時ゲートは金に光り、天地を繋ぐものとなるのです。
選ばれた、熟す為の魂は、磨く為に費した時が、
どの地に置かれたか、そこに意識が働きます。
伴侶と繋り合う魂の在る所です。
金のゲートは更に輝きを伴侶に繋ぎ、その時を又待つのです。

人には限られた時が与えられます。
全てのしがらみを解き放ち、魂一つにその身を委ねる時初めて
全力ほとばしる事、全知全能に答ゆる事、無償の愛を思い出すのです。
「人」と関わり合い「人」を守る事など、いかなる状況にても有り得ません。
「魂」あればこそ叶う事なのです。
血も肉もそれを求めてはいないのです。
魂こそが傍らの伴侶を無償に繋げばこそコアに届くのです。
限られたそれぞれの時を、無駄に生きようとも、無駄に死のうとも、
そこには輪廻に繋ぐ意味が込められています。
いわゆる無駄はないのです。
が、大いなる意味を与えられて生きる事も又、
輪廻に何度としかないでしょう。
気付けば進めば良し。
尊きものとは何たるかを、見極め、選ぶのです。
森羅とは、コアに繋がる道の事です。
「個々に呼び掛ける。
森羅に結ぶ魂に答えよ。」
己の生き方を魂に問いなさい。

今、この様にコアより呼び掛ける事は、これより先幾万に有りもせぬ。
又、それに等しきこの魂も有りもせぬ。
繋がればこその呼び掛けを叶えた御霊(みたま)と知りなさい。
「性(さが)」という言葉があります。
本分の意味でしょう。
与えられた本分の意味でしょう。
ここに伝えるに於いては、
汝に宿る魂が、間も無くコアに届く事を意味しています。
<H22年8月27日 マヨルカ島よりバルセロナに帰りて>

三種の門  
おわかりか、
完璧に近付けば近付く程に、残す時は削らるる。
金色(こんじき)に身を包めば闇を照らす。
そうなれば尚、照らす。
削る短かし寿命を惜しめば護る「金(オーラの事)」も散り果てる。
本日差し上ぐるは、巫女に更なる陽の力。
汝に委ねる守りの力。
陰陽とは苛酷な力なり。
尽くす者は、尽くす為に更に磨かるる。
見事な陰陽、間も無く完璧と仕立て上がる。
汝、心一つとなった今、そぞろなく勤め上ぐる金銀揃い、
成すべきに向かう正しきありさまなり。
師弟ならぬ。裏と表、陽と月、すなわち一つなり。
互いに授かられた運命、各々果たす使命に向かい、
成すのみを成そうと陰陽に尽くす者々、
剣間(けんま)に歩み抜かれる。
森羅に立つ日は十一月二十吉(きち)日と定めたり。
良いか。
日々限りなく身を尽くす巫女に、陰陽の陰となり、
愛弟子の試練、浮く事無く受け止めよ。
汝等一つ、魂の伴侶なるものなり。
<H22年3月12日 鈴鹿にて>

寿寿かけの行く道
太陽神より名を頂かれた陽乃子失き後
行く先およそ五年にあたり
供(とも)する者セリセの守りしものは、富士寿寿かけ
ここには月に二度
改めて参拝日、祈願日は伝ゆるが、今ではなし
時(とき)来れば、暦の上に書き記し
天上と一体となるもの呼び覚ましましょうぞ
寿寿かけには力を持つお方々が集まられます
力とは、能力もあり、智恵も又あり
何をもを成すにあたりて、
必要なる縁(えにし)の事なり
資金に援助なくして成り立たぬ
全ての行先(ゆきさき)には、それも全てあり
神仏今世を守るにあたりて
壮大なる計画あり
地球のへそ
日の本(ひのもと)神国には
重き役目あり
それにつきましても又
後々(のちのち)お伝え致しましょう
<H22年3月8日 社にて>

これより申し伝ゆる
六月 護摩堂を完成の事
仕度には、およそ六月十日までとする
天に届くる祈願書は
銀の龍の背(せな)により天上へ舞われ
金の龍の御魂(おんたま)にて天界が受け入るる
決して光り物ならず
ただただ質素に焚き上ぐる祈願を
邪念に邪魔されぬよう
仕度には 五月早々より取り掛かるべし
それより二月(ふたつき)に一度
聖なる祈祷、切なる祈願
受け入れる事を整ゆる
弛まなく精進(しょうじん)なさる ふたなりの御魂(みたま)に
まこと清(すが)しき思いなり
天女に迎ゆるに相応(ふさわ)しき御魂なり
おん坊には これより洗悩の日々あり
いちいち受け取るが善い
巫女には 身体、著しき低下あり
全(まっと)うの折まで、苦(にが)き日々なれど
総(すべ)たる神仏、守りてさしあぐる
感無量なり
<H22年2月24日 遍路への案内>

11月、弛(たゆ)まぬ日々
休みをとらず、遍路に向かわれよ
供(とも)声かけ、多くで生涯の思いを脳裏に焼き付けられよ
巫女たる名に良き供を持たれた
一つ一つにその姿をさし写してまかるべし
多くの記憶に姿を残し、後には夢々に立つ事となろう
巫女よ、汝、守護神の役目なり
引き際に最期の御時(おんとき)を楽しまれよ
一つ一つ言葉を残し、遍路への入口を浄(きよ)められよ
時(とき)十日ほど
供立つ者は、各々好きに歩かるる
手をつなぎて、酒を交わして、笑みを溢(あふ)れさせよ
人の道にほのかなる野菊の如く咲かるるが善し
ここより身体及ばず
十二月護摩焚きの折にて
供する愛弟子に、おおよそを伝ゆる
いかるがの里に踏み込みて
宝珠観世音にて印(いん)を頂く
ゆくゆく、後(のち)の寿寿かけに託すものあり
主神、月読の名に
守護神、天照の名に
本尊、大日如来の名に
多くの脳裡に
陽乃子の姿に化身せし、
神言申し伝ゆる
全うなされよ。
<H22年2月24日  鈴鹿にて>

月より伝ゆる今宵、良い光、天にまたたきて
人の大脳に良き鈴、喜(き)なり
大気、芯と繋がりて、月より伝ゆるに相応(ふさわ)しき宵の日なり
よろしいか、一言一句、刻む仕度を整われよ
旅の手配を整ゆる
三月六角の印たる物 持参の上
サマワに向かいて
後(のち)神国の森羅、祖母に立たるる
後(のち)ギリシャ、青き島に立たるる
後(のち)オーストラリア、曼荼羅(まんだら)の真中(まなか)に立たるる
これより先、役目、備ゆる事多かれど
ほとんどの時、外地にて、万の力をそぐわれよ
先達(せんだつ) 巫女
巫女の身、行く先々に天理(てんり)が降ろさるる
天理 受くれば身も砕くる
十月 際立(きわだ)つ大地に 案内(あない)せし
ナスカの文明に金の力あり
見下ろして脳波に受けよ
ナスカの絵は一文字へのものなり
絵ならず、文字(もんじ)と知られよ
天上より見下ろさねば文字につながらず
潜在能力 引き上ぐる
聖なる文字なり
<H22年2月吉日  供する「ご坊」への神言>

よろしいか、ご坊、汝に申せし事あり。
和(わ)の国に馨(かぐわ)しき、月の姫の神話、察(さっ)するか?
げにあらずんば かぐやの月の使者あり、
夜な夜な悪気を降ろしては、今世に身体さし出す人柱に繋げ、
その周囲をオーラに繋ぐ、いわゆる浄(きよ)めの行なり。
月に生まれ、陽に勤め、月に帰る。
これこそ かぐやの神話なり。
あらずんば申せし。
汝の役目は、月のかぐやの役上(やくじょう)を全う成さしめたらん事を守る事。
なればこそ汝に繋ぐ今世、行く世の数々あり。
いわゆる五行の山に歩む 天竺(てんじく)への守りなり。
届ければ終わり給(たも)う。
なれどご坊、届くる道々にこそ、誰知らぬ学びあり。
縁(えにし)はいちいち結ばるる。
恩師となる陽の巫女に仕ゆれば、汝、大師の結びあり。
決して驕(おご)らず、しゃにむに結ばれよ。
心中に潜(ひそ)む、恥ずかしいとか、覚め遣(や)らぬとか、見苦しいとか、
よけいな赴(おもむ)きに、大いなる天竺への学びを無になさるな。
おん坊として、坊主に成り下がるな。
白羽の矢を射られてこそ、射的となる壁となり、柱に磨きもかかるもの。
己に藁(わら)を被(かぶ)せて、己の立場を守ろうとなされば
一切(いっさい)滝の如(ごと)く 朽ち果てるものなり。
持たするもの三年もありもせず。
改めて申し渡す。
行く行くを預かる身の程を、男子(だんし)として生業(なりわい)に持たねば、
荷、崩れ、溶けて濁(にご)すのみ。
風情、佇(たたず)まいたる母屋も、神降りたる社も、
朽ち果て、ざまの無きものとなりましょう。
何をも受けて立つ、芯の強さと、
我身かわいく、愚かしく成り下がるその不様(ぶざま)な姿を
己が心境なる鏡と、慎(つつし)みなされよ。
男の子(おのこ)ならず 男子(だんし)、君子と進まれよ。
仏道とは、いかに学ぶ道なり。
神道とは、己を見る道なり。
天界とは、誠(まこと)厳しきものなり

<H22年2月吉日 神言>

二月開門の後、翌月より寿寿かけ参拝の折を設けます
四月より祈願護摩焚きの折を設けまする
日よりに特定のなし
神仏まかりとおる日よりに、月々お知らせ致しましょう。
弛(たゆ)まぬ向上に先をおぐお方々を
又、有り得ぬ身体の不備(ふび)に健全なるものを求めるお方々に
しかりとお応え致しましょう

申し上ぐる
誠に厳しき事あれば、なれど進むその行先々(ゆくさきざき)に
有り得ぬ陽の光を差し上げましょう。
奇蹟を起こすは、限られたる時、
この折々に、人々の真(しん)なる神国への思いを手繰(たぐ)り寄せ、
手綱(たづな)に結(ゆ)わえましょう。
開門より先、誠に見事に各々への奇蹟の数々が届きます。
人の型(かたち)に大脳あれば、輪廻(りんね)の、いわゆる経路は、
その大脳にこそ深く刻まれておりまする。
天界より刻まれたるしるしは
各々に、打ち勝つ強さ、生きる強さ、泣く弱さ、こたゆる
誠に凛(りん)とする姿態(したい)を
いつか思い出すよう造れております
天が雨を降らせば 足元に息吹(いぶき)が走り、
天が風を吹き起こせば 姿態(したい)に息吹(いぶき)が走る
天が陽を照らせば 健やかに伸び、
又、陽を曇らせれば 歩みを止める。
天と人とは中枢(ちゅうすう)の脳の刺激によりて、
このように生きて繋(つな)がりております。
寿寿かけとは、天よりゆわれたる紅白の手綱の縁(えにし)の事
すがれれば応(こた)ゆる。
なれど人の型(かたち)とは、すがる事ではなし、
人とは生きまかる事。
天とはそれを指示する役目なり。
いちいち言葉に繋(つな)ぐは、音(おん)
いわゆる脳に刺激を与え、何の勘(かん)を引き出すか、
勘(かん)も冴(さ)えれば健やかなり。

<H22年2月10日 開門 夜にて>

開門めでたし

他に見ぬ多くの神々より祝福を受けられた。
籠(こも)りの行も身体投げ出され、よう勤め上げられた。
富士の悪気はますます悪臭に満ちて
多くの犠牲を払う事になろうが
それも又、護国(ごこく)なればこそ、
守るには守るほどの犠牲も伴いましょう。
ゆくゆく祈願成就に基づき
護摩(ごま)焚く場も見事に整いましょう。
但し、後追う者の身なり整えばの事。
天の決め事を、決め事と思うか、
己の身仕度に積むか。
これより先、供立つ者々の覚悟を、とくと見届けましょうぞ。
さて巫女、汝、身体守らねば時に過ごせぬ。
事済めば、早々にアポロンの元に参られよ。
まだまだ今ならず。
神話の国にみいで、才(さい)たる陽の力を浴びられよ。
この地に漂う悪臭に、もはや最果(さいは)つる事のみなり。なれど
まだまだ成さねばならぬことの有りたり
四月早々に出(い)で向かれよ。
島国にて太陽神、結界 佇(たたず)みて待ち侘びたり。
最果(さいは)つるには、まだ一年。
そうそう戸惑いに身を崩せし、
天上より見ておりますと、しゃにむに働きの良し。
阿吽(あうん)とは、いかにも苛酷なり。
今年四月早々に仕度に掛かるべし、
弛(たゆ)まぬ日々に、みめ麗(うるわ)しからん事
天より金の粉(こ)を撒き散らし、
汝に注ぎたり。

<H22年2月>
2月10日富士寿寿かけ開門にあたりて呼びたるお方々に一言
この度の開聞は誠にめでたし。
多くの民より切願の社となるにふさわしきものなり。
選りたるお方々には各々森羅万象への開門となりましょう。
天界の門を開くるに添えたる御霊も誠に清しきものなり。
行く先に健やかなる身体と、目映き道々を差し上ぐる。慎みもちて参列なさるがよろしい。
開門にふさわしき巫舞いを成ずる。
天界より森羅を呼ぶにあたりては、それ相応の清き舞いを献上のことと、
ゆかしき昔よりの決め事なり。
岩戸の向かいて舞いたる「うずめ」のごとし。
鈴の音に身をよじりて森羅を受けとめるこの社に、雪見の壇より出ですがしく、
天の門を「陽の舞」と、しかりと眼に映さるるがよろしい。
この時こそ生涯に繋がるる開運の時と、お一方々に福を呼びて差し上げましょう。
十七の神々、百万の曼荼羅、見事に揃えたり。

「天照皇大神」
「この神言はそれぞれに送らるるがよろしい、
身なり整えばこそ 受けとむるにふさわしい大福もあり。」

<H21年12月8日夜>
ナイルに天(あめ)の宮を繋ぎに行かれよ。天の宮は天地に必要不可欠なる「水柱」の印なり。
指図に従いて向かゆる時、三の月。最大に満たさるる大気に向かゆるおみ足、七つ。
呼びたる御魂(みたま)、七つ。巫、供立ちて八つ。行くが良い。
笹に守られたる向日葵の地に向かう。長き時を経て 埋もれたる阿蘇の「祖母山」。
天の宮にて天界開きたる後、蓄えたる「水柱」を「祖母山」の聖地に埋めよ。
これにて多くの歪みが整い、ささくれ立つ迷い子の行き場が整いましょう。
日々たゆまぬお方々には、寿寿なる社への祈願あい整いましょう。一つ残らずかないたり。時の歪みを埋めよ。
只し、永く閉ざされたる時空の門、ここに聖なる光を持ちて立つ事は、
その間にいかなる苦痛をも受け止める事になりましょう。
巫、弾くる程の衝撃に身を削られぬ様、引き締めて参られよ。
道々「水柱」は磁石となり、案内のものになりましょう。
支ゆる供、今一人従えて行かれよ。覚えておくがよろしい。
ここに「火柱」を立つる事は、一度ずれ始めた多くの過ちが正される事になる。
この地球のあらゆる地所で、事故、破産、多くの衝撃を共なうことになろう。
波紋は先ずは地にあり。聖なる力を持ち、惑星の歪みを正す。
そこここに先ずは小さな歪みを正して参る。人類には修復の能力を持たせてあります。
身を正し、平安を祈る思いが、大きな溝を埋めてくるる。それこそ幾百年かけようとも待つのみ。
時空を立て直す役目を、しかと果たされよ。
いかなる「ズレ」が生じても、これこぞ救済の仕度と心得よ。他に取る手がなし。


今回のご神言






<H21年12月2日 寿寿かけの地決定の日>
1、よく聞かれよ。今より申し上ぐる事、真なる神国、重大なる事と知られよ。
これより出で建つ「寿寿かけ」には、大日如来の聖なる仏像をしたためよ。
正面には天照皇大神、天上には天之御中主、向かいて右には阿弥陀如来、
向かいて左には大八幡明神の名したたむる。
仏像にありては、しるすものを入手なさる事。あとには全て手記にてしるさるる。
囲いは桧にて板塀を貼り、四角に南天を植えよ。
母屋に向かい祭壇をしたためよ。母屋は一つ、以外は一切無となすべし。
周囲には白玉の玉石を敷き詰めよ。高床の八畳の白木にて社を造られよ。
一月早々にて始むる事。2月3日完成の事となすべし。
籠(おこ)もりには水のみ。巫、祭壇にて篭もり、終始天界との対話に勤めよ。
供する者一人、森羅万象にて雪見の小屋に籠もられよ。
互いに水のみ。筆百本、半紙千枚、終始、心経、理趣経にしたためよ。
仕上がりに約束のなし。身命込め聖なる写経に勤めあげよ。
互いに身なりを律する時、世に立つ神仏の化身となるべし。
日に目を合わす事、これ良しとする。心身浄化に勤めあげよ。
立ち向かう事、2月5日より9日夕刻15時終了の時とせよ。身を清め、開門翌10日10時とせよ。
奉り上ぐるに、神柱立つ榊、対とせよ。火を焚く蝋、二とせよ。
清き姿に玉手の鏡、一とせよ。米糠にて磨きあげ、天界に通じる鏡となる。
前に米一升盛られよ。その前に粗塩五合とせよ。
向かいて右に小豆二合、向かいて左に水三合。向かいて手前に南天の実三粒置かれよ。
これにて開門の儀整えば、天界一つとなりてあらゆるものに応ゆる術を受けとめる真柱と成り立つ。

2、巫は白衣に紫の衣を纏われよ。左手に榊一枝、右手に三つなりの鈴を持たれよ。
宴に天より鳴らさるる清き声高らかに歌われよ。
供する者、黒き衣に身を清め、鈷杵持ち、珠玉かぶりて、錫杖にて音頭をとられよ。
立ち合い月見の館より三十二名。これ以下なし、これ以上なし。いちいち呼びたる者と心得よ。
この日より予知能力かくたるものとなる事を知るべし。世に集めたる衆生より聖なる場所とあがめられる。
良からぬ欲の悪者も隙におられるが、呼ばぬ者は一切とどこおりたり。呼ぶ者は全てまかりたり。

<チベットにていただいた神言> H21年11月29日チベットにて。
さて、日々の行動について、ありさいて申し上ぐる。陽乃子よ・・・。
忙(せわ)しき世の中に、誰とても「みかえり」を求めてしかり。
なれど、行く行くに何を思い、何を進みておるのか解らぬままに歩むことを、
この道は求めております。あちらこちらに、いかようにも行く手を指示され、
何ゆえにと、問えども答えも無し。
ただ行務と教えられ、導きに進む者は、なかなかにおられませぬ。
今より申し上ぐるは、生き様についての、稀に見る有り様の事。
人とは、何を求め、何を手にするか、その成果をひけらかし、無か、有かを評価する生き物なり。
漂う木の如く、風にそそられ、雨にしのばれ、水に流され、かのような
生き様を、世間たるもの決して評価はすまい。
水にもてはやされ、清き風に包まれ、陽に守られ、月に照らされ、今あなたは
そのような有り様を持ちておられます。天界から見れば、これほどすがしき生き様は無し。
心身余すことなく身を放り出さるる者など他に有りもせず。
人とはいかに目を見てとるものか。又、天界とはいかに過酷を強いるものか。
ある地点まで身を持たせれば、その「勘」を欲に使い、財を余す事こそ、ありきたりの事なれど。
汝にはそれをも許さぬ宿命なれど、何を疑うやもなく、
突き進まるる聖なる御魂(みたま)に、神仏と呼ばれ在りたるものは、
真摯なる姿に、誠、無償と名をはするものであります。
いかなる時こそ、又、いかなる時をも見ております。
しんらに天上をそぐわれ、真摯に応(こた)ゆる術は真実そのもの。これこそ無償なり。
又、あるいはそれを有償と申すなら、形ある社に天命を全(まっと)うなさる。その姿も又、無償なり。
神、仏、名を変えたりとても、その姿は一(ひと)つなり。

<H21年10月 四国より広島・秋田に向かいますときの神言>
かしこみ かしこみ 物申せじ、ようよう巡り着かれたり、
間もなく金銀木の葉に色どりて、大道に招き入れる物に揃いたり、
見事な鳥居に仕上ぐるには、今一月半(ひとつきはん)全て事足りたり。良きかな、良きやな、
富士山麓に金龍舞い降りたる。
いちいちさしずめに事足ることと、あいなりたり、
志(し)、恩(おん)、縁(えん)、大国(おおくに)の守りなり、山の門、開かるる、
いちいちの月、元日にて海の門、開かるる、
西南(さいなん)より海神の物申せじ、
口元に海柱(うみばしら)こと説いて凪(なぎ)なすもの これ幸多からん
優雅にしたたむるものなり、
絹の衣に礼儀をおきて、髪には金の矛先(ほこさき)を持ちて、
眼(まな)あたりに指さすは、天下の平安、行く先みたりとて北の砦なり、
再三申せす事なれば、宝の舟を迷うことなし、
山に富士、海に雅なる海(かい)の門、通りに招(まな)いたる男鹿(おのか)の島は、珊瑚にめしたる白き砦なり、
三柱(みつばしら)に灯(とも)さるる黄金の社を造りたり、伊勢、志摩にて真珠の輩(やから)を迎えたり、
ひとといふたえの月にて良きかなの頃合いに値せし、三の宮の門を開くる、
あきつみのしののぎに招かれ、通りすがりに八百萬(やおよろず)の大神より金のすめまを開くる、
銀杏(いちょう)の葉にすずられ、剣の間(はざま)を歩まれ、朱(あか)の門を潜(くぐ)られよ、
海、山の門は永きに閉ざされたる大いなるしののぎに、持ちたるはけなげ、
さし持ちたる金眼にいとわぬ者のみ潜らるる、
身上に弛(たゆ)まなきもの 皇大神々(おおみかみがみ)より、今か、今かと待ち侘びらるる、
はやに持ちたる皇大(すめのお)の神々には、次なる試練も多き事也、これこれ佇(たたず)む間もなし、
いつ如何なろうとも、天より導かるる大道(だいどう)を歩めば、信じる信じぬにかかわらず、
滞る事なく案内(あない)の門に届きたり、
雉鳩(きじばと)は道を啄(ついば)むものを盃にもてはやし、木の実はここぞと実を落とし、
すすきの穂にわいたる黄金の道に届きたり、
ここより先、歩みにまかないたり、身心ついばむ痛みとて 行く先に近づけば心躍りたり、
 かんも 甘露 かんも 甘露 こくらすめでしあ