陽巫のこと



  • さて、と。
    「フィンドホーンには守番が必要です」
    との言葉に一組の夫婦を育ててきたつもりが、プツンと縁を切られます。
    が、内心は晴々としていました。
    厚かましさにウンザリしていたところの方丈の説教は当然で、
    もう二度と顔を見なくて済む事は私を憂鬱から解放してくれました。
    でも じゃあフィンドホーンはどうなるのか?
    私が不出来でこのお役目から外されたのかも?
    それならそれも良い。そもそも大役過ぎたのだ。
    いや、試されているのか?
    何が何だかの成り行きに頭が混乱している最中、
    「巫、一人行に入ります。孤立せよ」の指図。
    沖縄に一人暮らしが始まります。
    それはおよそ二年近い行場でした。
    石垣にウィークリーを借り、途中 公章と合流しては離島を巡ります。
    何をしているのかさっぱり教えて貰えず、
    ただ自分を見つめる中で一日の長さを知ります。
    石垣には三ヶ月程、その後沖縄本島にマンスリーを探し二度の引越し。
    それは一年半に及びました。
    毎日を淡々とこなせ と言われても、
    人は目指す目的が無いと立つ事も出来ないものだと思い知ります。
    一人無言の毎日 どうせなら…と極力言葉を発しない事に努めてもみましたが、
    スーパーのレジの女性への「ありがとう」の言葉が詰まって出なかった時、
    もう声の出し方すら忘れてしまったのか、
    このまま一人路上で野垂れ死ぬのか、と恐怖さえ感じました。
    鏡に映る無表情の自分の顔は、黒く日焼けてシミだらけですっかり痩けていました。
    そういえば何日も鏡を見てなかった。
    淋しくて、情けなくて、声を上げて泣きました。
    何の為にここに居るんだろう?
    いっその事 このベランダから飛び降りて死んでしまうか。
    路上で身元の判らない遺体になるより迷惑を掛けなくて済むんじゃないだろうか?
    残り時間を教えられ身を持て余すより、自ら終わらせるべきではなかろうか?
    後で思えば負の連鎖に絡み付かれぐるぐる回っていたのでした。
    沖縄は切ない島です。
    ベランダから下のドブ川を見下ろしながら、
    自らの命を断つ事でしか自分を守れなかった少女達の絶望を考えていました。
    咄嗟にベランダの柵を跨いだ事もありました。
    しかし、寿寿かけの皆様が信じてきた形に絶望を与えてしまう。
    私のこれまでの生き方は無意味になってしまう。
    寿寿かけとはそういうものではない。
    責任を果たさなければならない。ここに居る事の意味があるはず。
    何度かその狭間を浮いていました。
    公章から毎日お勤めの報告・安否確認の電話が入ります。
    電話を取っても声が出ない事はしょっちゅうで、そんな時私は意識を失っていました。
    公章もまた同じく一人行。様々なご相談を受け持ち、応えなければなりません。
    皆さんは全てを陽巫と比較し、厳しい目で公章を評価するだろう。
    それも一人行。後を継ぐ者の苦悩に、厳しく己を戒める時。
    この間、二人 共に一人行だったのです。
    しかし、この時間にはもっと深い意味がありました。それを知るのはまだ暫く後の事ですが。
    公章は針の筵に、私は浮いた空間に。
    それでも月に七~十日ほど合流し、次なる行場を指示されます。
    それは沖縄の全ての離島から始まり、果ては北海道。離島まで訪ねました。
    日本列島 大体の離島に足を着け、こんな端から端までの島を訪ね歩き何をしろと言うんだろう?
    が、これは直ぐに判りました。
    指示を受け何度となく訪れた とある島。
    一人でも数回、友を連れ数回、沖縄から二、三回・・・そして始まります。
    「この島に土地を持て。これをフィンドホーンとする」
    最初はびっくりしましたが、もはや疑問も質問も逆らう事などさらっさらありません。「はい」
    私の頭の中には「ウズメ」があぐらをかいておりました。
    「ここから先は神事。ただ従うのみぞ」
    頭の中で花火の様に光が弾け、大声で叫びたくて仕方がありませんでしたが、
    隣で公章は固まっていました。
    「無償の愛で立ち上げなければ意味は無い。見返りを求めてはならぬ。
    これこそが神集う島となる。
    必ず形は整う。何故なら神世の運びだからだ。」



  • 「フィンドホーンは無償の愛で始まらなければならぬ。
    友に呼び掛け力を借り、島に土地を求めよ。
    契約には寿寿かけ主・公章の名を刻め。神世と繋がりを保つ為だ。
    宿泊施設を建て、守番を置く。手配は整えた。
    富士麓のペンションにそびえる三股の木は、神世の目となり人を選ぶ。
    舌を出す者は弾き、託す者を残した。各々に与えるべきを差し出した。
    三股の木は、性根を覗き、隠れた邪気さえ引き摺り出した。
    人選は確かだ。早速土地探しに掛かられよ」
    の神言に、公章と我が同志が指名されました。
    しかし背中を押しても動きが悪い。
    不動産屋に問い合わせても物件が無いと言われただの、
    島の人は他県の人に土地を売りたがらないだの、
    グズグズと間の抜けた返事。
    黙って様子を見つめていたウズメがドスの効いた声で公章を怒鳴り上げました。
    「大の男が二人も揃って何をしている!島に足を下ろしても、しらみ潰しに探してもいまい!
    神言を何と受け止めた?
    急げと言われたら海を走ってでも急げ!!」
    公章は正座でこれを聞き、慌てて同志に電話で告げました。
    「巫様がお怒りです」
    二人はあたふたと支度を整え、二日後漸く指示された島に行き、不動産屋を訪ねました。
    が、この動きこそが奇跡を呼ぶのです。
    「先生、7〜80坪の土地が有り案内してもらいましたが、鬱蒼と雑木に囲まれ珊瑚の岩だらけです。
    今これしかないと言っています。どうしますか?
    不動産会社はここ一軒だけで他にはありません」
    沖縄で連絡を待っていた私は、一度電話を切り、何度も御神仏に確認しました。
    「案ずるな。整っている。他になし」
    と言葉を頂いたものの、さてどうしたものか?と頭を抱えました。
    と、再度電話が鳴りました。
    「先生!有りました。400坪の土地です!」
    二人の男はウズメにビビっていたので、見つけた事に声も弾んでいました。
    一つしか無いと案内された土地が余りにもひどく肩を落として事務所に戻ると、
    奥さんが「先日閉めた同業者さんからの預かり資料の中に一つ有りましたよ。あそこはどうでしょう?」の展開になった様でした。
    電話を片手にペンを持つと、こう書かれました。
    「身を尽くすとはそういう事。口先で事は運べぬ」
    すったもんだしながらも準備は一日で整いました。
    「台風が接近しています。二人共早々に引き上げなさい」
    一泊二日を急遽日帰りに変更、その間に起きた奇跡でした。
    上々の運びです。全ては神謀り事、動けば動くの教えでした。
    まぁ、それはそれとして、
    この頃私はまだ沖縄行の最中、ある夜ウズメがこう書きました。
    「巫よ、親子の形とは何だ? 我は知らぬ。親子の愛とは本当に無償なのか? 時の流れで見た親子とは、常に駆け引きをしていた」
    すると方丈が静かに語り始めました。
    「親子とは様々。 母性は必ず備わるものではございません。 繰り返す輪廻の中で、魂は学び、血は愚かに乱す。 それを『性(さが)』と申します」
    「親の子への無償の愛、それを見つめてみたい」ウズメはこう書きました。
    何の学びの時だろう?と判らぬまま、この会話は終わりましたが、
    私はぼんやり、長く会ってない息子の事を考えていました。
    それから二、三ヶ月後、寿寿かけは沖縄ツアーを企画。
    「大きなエネルギーがこの海を満たす。
    友を呼び集めよ。案内しようぞ。
    お前にとってもこれは最後の勤めとなろうや」



  • 沖縄ツアーはそれはそれは賑やかでした。
    笑顔溢れお喋りに花咲かせ、私は懐かしいお顔ぶれに涙ぐんだりしました。
    寿寿かけに集う皆様は本当に素敵な方ばかりだと こんな時にしみじみと幸せを感じます。
    私に取って最後のツアーとなれば、楽しんでほしい・必ず何かを持ち帰らせたい思いが一層強く、
    私は行場以上にピリピリしていました。

    ツアーのポイントは西表島、砂浜からゆっくり眺めると直ぐに見つけました。
    少し離れた波に立つその岩島はフワッと浮き上がりました。
    海神(ワダツミ)の力が弾けキラキラと岩島を包みます。
    やがてその煌めきは 御手を合わせる一同の頭上に集まりゆっくり皆を包み込みました。
    大きなシャボン玉はフワッと広がり静かな波に吸い込まれる様に消えてしまいました。
    この瞬間こそが皆に見せたい超現象なのに いつも一瞬の事です。
    ともあれ、沖縄ツアーコンプリート(^-^)!
    全ての行程を終え那覇空港解散の時、
    私は感極まって泣き出しそうなのを必死に堪えていました。
    泣けば皆辛くなる、心配する。
    でも皆と一緒に帰りたい!
    あの異次元の空間に一人戻るのは嫌だった。
    元気に手を振って笑って見送り、ゆいレールに乗ると寂しくて切なくて涙が溢れました。
    一人のアパートで気持ちを切り替えるには少し時間が掛かりましたが、
    日常の習慣を甘やかす事こそ負けた事。
    決めた時間に起きて歩き、瞑想を欠かさず、気丈に居なければ、強く居なきゃ、
    と自らをけしかけます。
    ツアー後は、ほぼ毎晩の様に気を失っていました。
    夜中・明け方、意識が戻り同じ天井だと気付けば、良かった!アパートだ!と安心しました。
    時々外を彷徨うこともあるので、朦朧とし始めたら、気を引き締める努力が必要でした。
    こんな状況は公章に伝えていたので、夜中に何度も着信、メールが届いていました。
    公章も寝てないだろう、申し訳ないのと、お勤めに支障は出てないか? 運転は大丈夫か? とか互いを案じる日が10日も続いたある朝、
    知らない番号から電話が鳴りました。
    「息子さんの会社の者です。彼のアパートの前にいます。
    昨夜は残業でしたが、今日の打ち合わせをして別れました。
    無断欠勤は考えられません。部屋の中に居る気配があります。
    管理人さんに至急連絡を頼みます」
    ドクン・ドクンと自分の心臓の音が聞こえました。
    30分も経たない内に管理人からの電話、
    「救急車を呼び会社の方が付き添いで病院に向かってます。
    この辺は救急車の対応が遅いんですが、何と数分で来ました」
    私は直ぐに公章に連絡し最速の飛行機の手配、昼過ぎにドクターからの電話、緊急手術の手配を取り空港で飛行機を待ちました。
    公章とのやり取りもドクターとのやり取りも声が震え何度も口の中を噛みました。
    運び込まれた病院は横浜の大きな病院でした。
    11月の肌寒い日、羽田に着くと公章がセーターと上着を持って待っていてくれました。
    病院に着いたのは日暮れ、ドクターからのお話を聞けたのは夜9時過ぎだったと思います。
    「後一時間遅ければ間に合いませんでした。
    術後も意識が戻らない可能性、仮に戻っても車椅子。歩けません」
    はっきりそう言われました。
    そんな話を私はポカンと聞いてました。
    何日も頭の中で同じ事がぐるぐる回ってました。
    「神さん❗️何をしてんの?
    私を連れて行くんじゃないのか? それで済むんじゃないのか?
    何で息子に手を出す?
    あの子は一生懸命に生きている、誰を傷付けた事も無い穏やかで賢い子だ!
    息子に手を出すな、私に掛かって来いや!
    ウズメ、親子の無償の愛が何とかって言ってたな?
    それが見たくて面白がってんのか!ふざけるな!」
    腹が立って頭の中で怒鳴り捲り、パンパンに膨れ上がったら泣きじゃくりました。
    二、三日後漸く意識が戻り「母さん!」と呼ばれてふと我に返りました。
    頭の中で散々悪態をついたので、少し落ち着きを取り戻していました。
    「息子と私、もしこれが逆だったら? 公章と息子は二人で私を抱えこむ事になっただろう、
    そうすると私は耐えられず、自ら存在を消す事を考えるだろう。
    ならば、今迄の私の生き様をどう捉えれば良い?
    神仏の存在を否定する事に他ならない。
    私は自分が選んだ道を間違ったとは思わない」
    息子のアパートの片付けをしていたら血圧計を見つけました。
    前日、残業から帰宅して遅くに食べた弁当の空箱二つ、
    多分こういう日常が習慣となり、不摂生からの脳内出血だったのだと理解しました。
    太もも迄の金属の装具を付けた息子を見つめながら、私より本人はもっと辛かろう。
    だからこそ私に眼を向けず、懸命に無視しているのか、と思いました。
    息子の部屋を見て日常が見えた時、頭の中の怒りは消え、新たな思いが湧き上がりました。
    目の前の全てを受け入れ、絶対にコイツを立たせるてやる! 歩かせてやる! の覚悟を決めました。
    息子がこんなにも掛け替えの無い存在なのだと改めて思いました。
    彼の存在があったからこそ 私は地を這い、どんな山でも登れたのだと改めて知りました。
    世の中 様々な親子の形があります。
    方丈の言った「性(さが)」とは無情なものです。
    私は親として、彼の生き方とプライドを取り戻してやりたかった、闘い這い上がらせてやりたかった。
    大切に守り抜こうとは考えず、コイツは絶対に自分で立つと信じ抜きました。
    発症から念願の自立まで二年、今の彼は一人旅をし、子供の頃から続けているボランティアにも参加しています。
    大した奴です。
    彼が求め続けた自立とは、「自分の事は自分でやる」という事です。
    息子の自立を安心して見守れる様になった頃、ウズメが語りました。
    「天の謀い(はからい)は完璧なり。親子の無償の愛、見届けたぞ。
    お前こそ神島の守り番となるに相応しい。
    やがて風となり神島の空を舞うだろう」
    この二年の間、あらゆる決め事が整っていきました。
    神島の宿坊はこの一年後に完成、山中湖コテージは売却、管理人は家族で島に移住。
    庭の手入れ、宿の清掃、カフェのおもてなし、と朝から良く働き、評判も上々。
    心を込めるとこうなるのです。
    沖縄での二年間は修行の場、これでもか と言う程叩き込まれました。
    がここからがやっと[最終の章]。
    フィンドホーンにはまだ届かない。
    それがどの様な形かでさえ、まだ教えては貰えて無かったのですから。

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