陽巫のこと
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最終の章 1
【9月1日早朝、神域にて頂戴した神言】
「時が来た。宙と繋ぐ。
魂が目覚める。今こそ宙の子となれ。
目を閉じよ。額に記す。
ふたなりの護りは無の宇宙。
行く先は風が運ぶ。行け!」
これから始まる行は、解放の為の行です。
「人」でなければならぬ者を育ててきた。
何様になるな、と厳しく躾けてきたが、
いよいよ完成の時が来た。
巫よ、此度の行でお前の全ての力を解放する。
閉じる事の出来ぬ眼を開く故、これを最大に与え尽くせ。
飽きるまで使い果たすべし。
この異空間に公章は引き摺り込まれ、ふたなりが完成する。
巫よ、この域に踏み入ればもう「完全なる者」となる。
お前の声は風を呼び、人の脳を呼び覚ます。
魂の深い眠りを揺り起こし、人の能力を最大に引き出す。
不思議は待つものではない。呼ぶものだ。
そうお前に今こそ教えよう。
オホーツクに行き海に抱かれよ。
その時が来る。 -
最終の章 2
2026年9月6日 相談終了後すぐに出発。
寿寿かけを立ち上げ、案内されるまま、ここまで来た。
激流から首を出し、息つく間もなく。
と思っていたけど、今振り返ってみるとそう大変なことでもなかった気がする。
不思議な現象を見た時も、異次元の世界も、拒む事はせず受け入れてきた。
この目が見つめる現象を否定する事は、私自身を否定する事になる。
全てを受け入れ歩んだ道のりに、いつしか形は整えられ、そして今がある。
「巫様よ」と語り掛けて下さる方丈様は、最近声を掛けては下さらない。
今、私を呼ぶのは「宙」です。
大き過ぎて姿を想像する事も出来ません。
張り裂けんばかりに声を上げても届かない「果ての存在」が、
静かに頭の中でこう言います。
「これから始まる事に、きっとお前達は驚くだろう。
足を踏み入れる世界は、世の話に聞いた事も無いだろう。
どんな問い掛けにもパンパンと答えは弾み、集中していく様は見事になっていく。
新たに始まった「最終の章」
それは瞬く間に広がり、人を呼ぶ事になる。
オホーツクの陽の玉は、お前達を覚醒させる。
その言葉は、人を呼び、人を繋ぐ。
フィンドホーンはその様に創られる。
陽の玉を吸収すれば、この先に広がる世界は恐ろしく速い。
だがお前達は坦々とこなすだろう。
フィンドホーンは創るものではなく、創られていくものだ。
想像を超える人の心が、それを創っていく。
何一つ無駄は無い。確実に創られていく」
私は今、初めて恐いと感じています。
陰陽の祓いで何を見ても怯まず突き進んで来ましたが、
今、本当に恐いのです。
最初のお社立ち上げの時、神言を頂きました。
「眼の開かぬ子は 額に第三の瞳を差し出そう。
耳を塞ぐ子には 脳に宙の声を届けよう。
やがてこの子等こそが 人を救う事になる。
人の世に闇が覆い被さった時こそが 目覚めの頃合いとなろう。
『フィンドホーン』と名付ける。
お前こそ、その役目となる」
正に今、世の中は暗闇に落ちる寸前と捉えましょうか。
明日は男鹿、最大の力を持つ「五社堂」です。
ここに立つにはそれ相応の覚悟が必要です。
そうそう、熊鈴を買いに行かなきゃ!です。
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最終の章 3
「行」と聞けば、水行・滝行・籠り・火渡り・断食・水断ち等々、
誰もが嫌がり、辛いと思う事を何日も強いられる、そんなイメージですよね?
これは、この世界に引き摺り込まれ、自動書記の右手と本気で喧嘩していた頃の話です。
その時はレストランのマネージャーをやっていました。
ある夜、裏の休憩室で一服していた時、背後にゾクっと恐怖を感じ、
起きているのに金縛りの状態になりました。
何故だか後ろに黒い大蛇の気配、しかも大きなトグロを巻いています。
頭の中にそれが映ったのです。
「身体を取られる」と思ったその時、
目の前が光り出し、それはそれは美しく光る大きな白蛇が現れたのです。
真っ赤な口元から赤い舌がチロチロと動き、私を見つめていました。
ふわっと金縛りが解け、背後の黒い大蛇が消えました。
白蛇は「私はイザナミ」と伝えて来ました。
一体何が起きたのか?ぼ〜っとしていると、
店から「マネージャー、お客様です」と呼ばれ、
ふらふら立ち上がり何事も無かった様に仕事に戻りました。
それから数日後、私に「行」を強いられました。
「その臭いタバコを止めよ。経を繋ぐにも喉が枯れ不快だ」
右手が書くその言葉はウズメだと判りました。
私は何度か頑なに拒みながらも、一応 従うふりをし、
家の中での喫煙をやめ、車の中で吸っていました。
その日は一段と冷え込み、外に出るのも手足が震える夜、
寝る前の一服の為、車に乗りタバコに火を付けようとした時、
右手はライターを捨て、こう書きました。
「滝に打たれますかや?」
頭の中には美しく光る白蛇が住んでいました。
抗う事など有り得ない絶対的な存在と力でした。
「タバコ止めます」と震えながら答え、
翌日から喫煙者が隣に居るだけで「臭い!」と感じる様になりました。
ほぼ同時に四つ足の肉も止められました。
焼肉屋の前を通るだけで吐き気がして、匂いさえ受け入れられませんでした。
これは三年続きました。
思うに「行」とは、大きな存在と一つになり、その意思に沿う為の支度。
タバコも牛・豚の肉も奪われたのでは無く、脳が「嫌いだ」と拒んだのです。
つまり脳をコントロールされたのです。
「神」とは絵に描かれた姿形ではなく宇宙の力だ。
と「行」を重ねる中で教えられました。
形を造らない無限の力を人は「神」と呼びます。
「行」には段階があります。
魂の「行」、これは過去世の繋がりです。
ビルマでの体験は、私を大きく変えてくれました。
歩いている時に見せられた異空間。
透けた世界に赤土を踏み荷車を引く水牛、
正面から視線を合わせた僧侶との出会い、
パゴダで聞いた経のリズムこそが経の原形だと私は教えられました。
「経本は読むな」と止められていたからこそ、
私はビルマで、経のリズムと音を記憶の底から拾い上げたのだと思います。
ビルマから帰国して暫くの間、夜中には壁から赤い衣の僧侶が現れ、
静かに私を囲み不思議なリズムを唱えていました。
幾重にも重なり合う声は、川の水のせせらぎ、魚が跳ねる勢い、水面に描く輪の美しさを私の脳に伝えてきました。
人間の身体は音に強く反応します。
脳がそれに目覚めた時、
脳はまだ足りていない事に気付き、もう一度扉を開けて学ぼうとします。
つまり、人は何度でも覚醒するのです。
同時に肉体にも力がみなぎり、生き尽くそうと蘇るのです。
魂の記憶は奥深い。
何かを思い出した時の魂は、一瞬にして果てしなく遡る。
愛した事、裏切った事、戦い殺し合った事、数え切れない経験を重ねた事、
そして今世・来世に最も学ぶべき事を探し始めるのです。
全てを学び終えた魂は宇宙という母体に戻り、煌めく星屑となり無の宙に散ります。
輪廻とは、魂の「行」なのです。

